「ボク達、いつまでもこんな風にして生きて行きましょうね」by内田勘太郎


4月17日


7時起床。
京都に出掛ける為の身支度をし、
8時に近所のクロネコヤマトに赴き、
取り急ぎ揃えた資料一式150部程を、メール便で発送する。
9時に都内某所に集合し、京都に向けて出発。

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「KURIDAMA '09」@京都MUSE


昨年5月にDJで出演したことがあるが、
バンドとしては初めてのハコ。
だが、この京都MUSEの店長、行貞くん(ボクと同い年)は、
我々の京都のホーム、磔磔の水島店長と非常に仲が良く、
可愛がってもらっている模様だ。
街によっては、もう如何ともし難いくらいに、
その街のライヴハウス同士が仲が悪かったりして、
こっちもちょっと萎えたりすることがあるのだが、
京都のライヴハウスはキチンとすみ分けが出来ている模様。


「KURIDAMA」の企画者、栗ちゃんは、
清水音泉のアルバイトである。
「あれっ!?社員じゃないの?」というくらいテキパキ働き、
そしてライヴバンドを愛するオレ達の味方なのだが、
「社員になってしまうと自分の好きなバンドが手伝えなくなる」と、
自らアルバイトの身に止めている、非常にアツい男だ。
その栗ちゃんが愛するバンド達を集めて、イヴェントを開きたいとのことで、
怒髪天ニューロティカ、そして我々SCOOBIE DOを呼んでくれた。
光栄極まりない。
怒髪天ニューロティカのお兄さん方に失礼の無い様に、
初っ端でフロアをアゲさせて頂きました。


ロティカの皆さんは、何故かお面で登場していました(笑)。
対バンに入るわけでもなんでもないのに(笑)。
敵いませんわ(笑)。

すぐにダカさんにもメールで連絡しときました(笑)。


打上げに行くと、そこには磔磔の水島店長と、
磔磔でその日ライヴを行なった憂歌団内田勘太郎さんが。
ニューロティカの皆さんですら、恐縮していた。
帰り際、勘太郎さんが、打上げの雰囲気をニコヤカに眺めながら、
「ボク達、いつまでもこんな風にして生きて行きましょうね」と。
深い。